令和の万博
2025年日本国際博覧会。4月13日の開幕から約2週間が経過した。開幕前からの不安要素は様々に報道されていたが、中でも来場者数は関心度の高いトピックだった。開幕1週間の実績はほぼ半分なのに、万博協会(日本国際博覧会協会)は「順調な滑り出しで、想定通りだ」と強調している。開幕当日の入場ゲートの混乱、人気パビリオンの入場予約はアクセス集中によりトラブル発生、フードコートは空席難民だらけ、などなど、イベントにトラブルはつきものではあるにせよ、「並ばない万博」が目標として掲げられていたはずだったことを鑑みると、想定内という言い訳は聞くに堪えない。ただ、1970年に開催された大阪万博では、電話線でつながっていないワイヤレステレホンが展示され、来場者は会場から全国どこにでも電話できた、という体験ができた。この体験は、未来を想像させるに十二分な効果であり、2025年の大阪・関西万博に来場するだろう多くの人も、この未来が現実となった電話によって手軽に多くの情報を得ながら万博を楽しんでいることに間違はない。
未来と言えば、筆者は密かに空飛ぶクルマの実現を期待していた。結局、実現はされなかった。なぜ空飛ぶクルマが万博の目玉として浮上したのかについては、鶴の一声が有力説ではあるが、「最先端技術など世界の英知が結集し新たなアイデアを創造発信」を実現したい万博協会にとっては、実現可能なアイデアだったのだろうと推測するしかない。国土交通省の航空局が2021年に公開した「空飛ぶクルマについて」という資料によると、空飛ぶクルマについて「明確な定義はない」「『クルマ』と称するものの、必ずしも道路を走行する機能を有するわけではない」と述べている。そして (1)電動、(2)自動操縦、(3)垂直離着陸という3点を空飛ぶクルマがヘリコプターとは決定的に違う特徴である、と掲げており、飛行機ではない、とも定義していることもおもしろい。ジェット燃料の代わりに、電池でプロペラを回し、将来的にはパイロットが搭乗しない自動運転も視野に入れ、滑走路なしで離着陸できる、のが空飛ぶクルマなのだそうだ。凡人である筆者は、パイロット(操縦者)はいても、いなくても構わないが、渋滞にはまったら、垂直離陸して、好きなところへ時間通りに到着できる自動車を想像していただけに、空飛ぶクルマには相当な期待をしていた。そう、想像に乏しい一般人は、社会インフラを変える、ということを想像できないからだ。万博という巨大な組織は、OT(Operational Technology)など物理的なインフラまでを巻き込んだ未来を創造できる空間を造ることができるのだから、あの大屋根リングを根性で造った日本として、空は飛ばなくても良いが、もっとアイデアが無かったのか、と残念に思う。
2025年の大阪・関西万博が、未来のヘルスケア技術を体験できることは現代の万博に相応しい。再生医療、細胞医療、遺伝子治療の分野では、バイオテクノロジーの目覚ましい発展により、風景は激変している。その進化の象徴は「iPS心臓」。動いている心臓を見たことがあるのは外科医ぐらいだろう。そんな見たこともないモノを見て、人は何を感じるのだろうか。さらに、自分の現在の健康データをもとに作成された25年後の自分(アバター)に出会うこともできるらしい。医療分野に従事する人達の膨大な実験と分析の成果が着実に花を咲かせている。高度経済成長期の真っただ中で開催された昭和の大阪万博。エネルギーが石炭から石油に変化した時代。令和の大阪・関西万博が開催される今、エネルギーは、着実に石油から電気に変わっている。変化を受け入れ、アイデアで勝負したい。カタチになるからこそ、人はその体験を楽しめる。がんばれ製造業。