鳥人間コンテスト
鳥人間コンテスト(読売テレビ)が放映される頃になると、突然、自宅に押しかけてきた友人のことを思い出す。「おまえ、構造計算専攻してるって言ってなかったっけ」と聞き、「ノート貸してくんない?」と言う。同じ大学でもないのに、「はぁ」と驚く筆者に、友人は言う。「俺たち、鳥人間コンテストに出てんだけど、構造計算まじめにやらないと飛ばない、ってことがわかってきてさ。お前のこと思い出したわけ」。連絡もせずにやって来て図々しいヤツだ、と思いながら、基礎がわかればイイのだろうぐらいに思い、少し前のノートを探して差し出す。「コピーしたら返すから。まぁ、テレビでも見て応援してよ」と言い放って帰っていった。その年、鳥人間コンテストの放映日は確認もしなかったし、当時の我が家にはビデオデッキも無かったので(笑)、友人の大学が参加したのかどうかもわからぬまま時は過ぎた。当時ニュース番組で放映された鳥人間コンテストは、人間が鳥に仮装して琵琶湖に飛ぶ(落ちる?) 姿や、ハンググライダー的な道具で滑空して飛ぶ(落ちる?) 姿が多く、構造計算などして本格的な飛ぶ道具を作るチームが現れるなど想像もできなかった。あれから、数十年。令和の今では、技術、素材、動力(人間の体力)を組み合わせて「飛行距離を延ばす」ことに知恵を集中させた大きな成果を見ることができ、同時に、若い力を頼もしく思う。
Google先生によると、筆者の記憶していた鳥人間コンテストのニュースは、あながち間違いではなさそうだ。鳥人間コンテストは、『びっくり日本新記録』という番組内の1競技として誕生したもので、イギリスの番組をモデルとし、当初の目標はその世界記録を更新することだったらしい。結局、第1回1977年に、この世界記録は、鳥人間コンテストによってあっさり更新されてしまうことになる。鳥のように空を飛べれば良い、というあってないようなルールで始まったこの大会が、人力プロペラ機の登場によって転機を迎える。助走と風に頼っていただけの推進力が一気に変わった。誰もが、「えっ、それありだったの?」と思うインパクトがあった。新しい発想、というのは、まさにこういうコトを言うのだろう。
「Engineering Design」(原著 Konstructionslehre:1977年初版。ドイツ)という本がある。期せずして、鳥人間コンテストが始まった年に出版された本だ。設計者は、改善策を考える時、既存の状況に対する可能な改善法を考えて、ただちに着手する、という深刻な誤りに陥ることがある、と記されている。そして、新技術、新手順、新材料および新しい科学的発見またはそれらの新しい組み合わせが、より良い設計解の鍵となる場合は、従来の方法によって求めた設計では、最適な答えは得られそうにない、と注意している。だからこそ、設計者は、最適解を探索するとき、定着したあるいは慣例に従ったアイデアに影響されることなしに、新しくて、もっと適切な「道筋」が開かれているかを慎重に考察する必要がある、と警告している。一般的で本質的なものを強調してみることが大切だと説いているのだ。鳥人間コンテストの本質(設計課題)は、「飛行距離を延ばす」という誰もが理解できる単純明快な課題であり、本コラムの読者の皆さんが創り出しているような複雑な製品のそれには値しないのかもしれない。であれば、なおのこと、何本もの道筋(問題設定)を拡大して設定することに、新しい見通しが開けるのだと思う。あの未だに返ってこないノートが、彼らの道筋の1つとして役立ち、今に引き継がれているとすれば、技術屋としてこれほど誇らしいことはない。




