人間 vs AI
国内では、CCTV(監視カメラ)の普及率が年々増加しているそうだ。総務省の情報通信白書によると、2022年度末時点で、約3139万世帯がケーブルテレビを通じてCCTVサービスを受けており、世帯普及率は約52.5%。これは、日本国内の多くの地域で監視カメラが広く利用されていることを示している。個人宅敷地内に監視カメラが設置されているのを見かけることも多くなった。保存された映像から人物を識別することによって、防犯、安全管理、マーケティングデータ収集などに使うこともできるし、物体を識別することによって、不良品検知、保守・点検、個数管理など、業務効率化や省人化を検討する上で重要なデータとなろう。さらにAI(ディープラーニング)と組み合わせることによって、使用用途は格段に広がる。中国の防犯カメラ台数は約1.3億台。北京など40都市、総人口3億人をサンプリングしたデータによると、1000人当たり防犯カメラ台数は、437台。それに対し、東京、大阪、福岡3都市、総人口数は6千2百万人、人口1,000人当たりの防犯カメラ数はわずかに0.95台。「監視社会」と呼ばれるわけである。
これだけ近代化が進んだ現在においても、火事の約1/3は人間によって発見されているそうである。そして、人間の感覚による火災の発見は非常に信頼性が高く,誤報となることがほとんどない、というのも納得がいく。人間の視覚(炎や煙)によって発見される火事、嗅覚(焦げ臭いなど)によって発見される火事、聴覚(燃える音)によって発見される火事。人間は,視覚・嗅覚・聴覚の3種類の異なるセンサとセンサから集めた情報を分析して、「火災」を検出している。これに比べ、現在の自動火災報知設備は、2種類のセンサによるしきい値判断によって火災を検出しようとしているものが多い。つまり、人間は機械より、よりインテリジェントであるということである。一方で、このインテリジェントな人間がいない場所では、自動火災報知設備に任せるしかない。のであれば、この自動火災報知設備を人間の手で、もっとインテリジェントにする必要があろう。
社会は,人問と機械が緊密な関連を持ちながら結合しあう様々な「システム」で構築されている。システムにおいて,機器の故障や環境条件の変化などの自然発生的な事象に耐えられることを信頼性というなら、犯罪や火災など、人為的行為に対するシステムに対抗できることを安全性というのかもしれない。製造現場でわざわざ犯罪や火災を起こす人間はいない、と考えたい。が、火災は発生するかもしれないし、人災も発生する。従って、私達は、常に「信頼性と安全性」=「セキュリティ」を確保しなければならない。人間の持つ五感のうち、嗅覚だけがほぼ直接的に脳に信号を送ることができる。これは、人間が命を守るために、危険に関する情報は瞬時に得る必要があったかららしい。人間の視覚、聴覚、触覚は、光、音、圧力、温度などそれらの量を図るためのものさしが存在するからこそ人間の機能に代わるセンサも開発されてきた。一方、嗅覚については、においを分類するものさしが無いため、センサの開発が遅れていると聞く。これこそ、大量のデータ分析が得意なAIの活躍する分野ではないのだろうかと思う。