人間工学電卓
年明けに、「人間工学電卓」というメールタイトルのニュースメールが飛んできた。一時、やみくもに読者登録した各社から配信される定期メールは、ここ数年、めっきり開封回数も減り、真っ黒なタイトルのままゴミ箱に捨てている。継続購読を中止すれば良いのだが、Myページとやらにアクセスして、配信中止をしなければならず、アクセスIDとかパスワードも覚えていないので、結局配信中止をお願いするでもなく、延々と受信し続けている始末。タイトルを見て、そういえば、電卓、使わなくなったなぁ、とふと思った。理数系の勉強をしてきた読者の皆様なら、関数電卓は必須で携帯していたであろう。今や100円ショップでも購入できる電卓の話題だった。電卓を持ち歩く必要がまったくなくなったこの時代に、人間工学電卓?(出典元:Monoist IT mediaサイト)1972年に爆発的なヒット商品を生み出したカシオの新しい挑戦の記事だった。
大学教授が「昔は、こうやって手でハンドルを回したもんだよ」という昔話をするのは、理数系あるある、である。今やそんな話をする大学教授もいないのだろうが、大正時代に生まれた手動式計算機は、昭和の中頃(1965年頃)まで使用されていたらしい。日本製の電子計算機は、昭和の初めには誕生したそうだが、戦争に敗れたこともあり、市場には米国からの輸入ものが広がった。しかし、重さが30kgを超え、50万~60万もする高価な品物である。モーターの回転音はばかデカイいし、ガタガタと机を揺らす、そんな電子計算機は日本では広まるわけもなく、よっぽど、そろばん、が普及していたのである。そして、そんな戦後の時代だったからこそ「計算機」vs「そろばん」の勝負が白熱する。デジタル対アナログの勝負を見て、「そろばんは、何年も塾に通い上達して初めて使えるようになる。が、計算機は経験が無くても数字を入れてキーボタンを押せば正しい答えが出る。技術の力で機械の能力を高めれば、そろばんに負けない、誰でも使える計算機が出来るに違いない」という思いを抱き、開発に取り組んだのが、樫尾製作所(現カシオ計算機(株))の開発を担当していた、樫尾俊雄(参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)氏なのだそうだ。
カシオが、また、新たなページを開くであろうプロジェクトを開始したのは、2018年らしい。4年という歳月が、開発期間として必要だった理由の1つとして、主観的な考え方を改め、客観的な考え方を見出すことが必要だったからだと推測する。新しい多くのインプットがないと、アウトプットは生まれない。それこそ「設計者の視点」である。設計者は、お客様のニーズに応えることが仕事である。プロジェクトチームのメンバーは、「打ち間違えないで、早く仕事を終えたい、という電卓を使用するお客様ニーズに応えるために、メカ設計者が、メカ設計者の視点からだけ製品開発を考えていたら、「キータッチの向上」しか思いつかなかっただろう」と回顧する。「キータッチの向上」だけなら、イノベーションにはならないし、ユーザーエクスペリエンスには繋がらなかっただろう。これからの時代だからこそ、梶尾俊雄氏の発案した「キーボタンを押せば、技術の力で正しい答えを出せる機械」が、様々なカタチで世の中に出てくることを期待したい。その基盤(技術)はあちらこちらに散らばっている時代である。それらを様々に受け入れて、切り口を変えて視る。それが新たな幕を開くことになるに違いない。