金剛株式会社~自社の強みをお客様にわかりやすく伝える~

「私共の製品は、ここがスゴイんです」と伝えたい。当然のことです。

創業者は徳島に生まれたそうです。
昭和大恐慌の中、12歳で大阪へ奉公に出ます。昼間は働き、夜は夜学に通いながら、叔父と共同経営で「金剛測量製図器械店」を始めました。この「金剛」の名には、“大阪で一番高い金剛山のように大きくなりたい”という想いが込められていたそうです。その後、この創業者は、独立宣言。新天地を求めて九州に向かいました。1947年、熊本市内に測量・製図機器商社、「金剛測量製図器械店」が生まれ、1951年に「金剛株式会社(https://www.kongo-corp.co.jp/index.html)」が設立されます。創業者の名前は、谷脇源資。22歳の時です。

22歳。今で言えば、大学卒業したばかりの若者です。
1900年半ばと言えば、戦後復興のため、区画整理や道路建設のために測量・製図器機の販売は好調だったでしょう。谷脇源資氏は、本業商品以外にもお客様からのご依頼があれば何でも取扱えたそうです。そうすることでお客様からの信頼を勝ち取っていきます。
そんな「金剛」に最初の転帰が訪れました。東京オリンピックに向け、テレビのカラー放送が始まり、日本発の原子力の火がともった頃。今となっては死語?「デラックス」という言葉が流行ります。この言葉が象徴するように、日本は好景気に沸き目覚ましい成長期を迎えていました。谷脇源資氏は、測量・製図機器とは全く違う「スチール家具」という新分野へ舵をきったのです。

何故?
この高度成長期時代では、上から下への指示系統のもと、効率を上げ、大量にモノを生産することに適した働き方が求められていたのです。オフィスは、ピラミッド型の階層組織図をそのまま再現したような机のレイアウトが主流でした。スチールの量産化も相まって、これはいける新市場である、と閃いたに違いありません。

そして迎えた1967年。地元熊本の図書館建設に関し、“地元の仕事を取れないようなメーカーはどこへ行っても通用しない“と、社長だった谷脇源資氏は、受注獲得に向け走ります。結果、概ね内定していた企業を蹴落とし、3万冊収容の書架を造る一大事業を引き受けることになります。全てが初めての経験であったはずでしたが、金剛にとっては大きな一歩を踏み出したことに間違いありませんでした。翌年の国立国会図書館納入へのアプローチにもったのですから。

その後、「全員参加の製品開発」を方針に掲げた谷脇源資氏は、社員全員がアイディアや情報を共有して提案していくことが、 職場の活性化、会社発展につながる、として技術力の向上を図っていきます。1995年阪神・淡路大震災で、その技術の正確さが証明されることとなり高い評価を得ました。
そんな「金剛」が今、挑戦していること。その目的は、「自社の強みをお客様にもっと、もっと、わかりやすく伝える」ことです。
そのために何をしているのか。この続きは、こちらをご覧下さい。

 

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